70′s ジャパニーズファッション
浮かれすぎた60’sへの反省なのか、70’sに入ると時代の揺り戻しがやってきた。
それを象徴するのが1973年に起こったオイルショックだが、このころから自然環境を大切にしようといったエコロジー思想が台頭してくる。
「モーレツからビューティフルへ」「節約は美徳」といった流行語が生まれたのもこの頃。ファッションはライフスタイルの表現という考え方が進み、画一化から多様化への方向へ進んでいく。
そうした傾向を先取りして生まれたのが、新しい女性ファッション誌「an・an」で、1970年(昭和45年)2月に創刊された。
翌年6月にはライバルといわれた「non・no」が創刊し、このふたつの雑誌から「アンノン族」と呼ばれるトレンドが発生した。
彼女たちの合言葉は「ディスカバージャパン」
雑誌片手に京都や飛騨高山などと歩き回り、やがてパリやロンドンにも足をのばしていく事になる。
「アイビー」か「コンチ」か?「ミニスカート」か「パンタロン」か?といった二者択一の60’sファッションとは違って、70’sのファッションはめまぐるしく変化していくのが最大の特徴。
つまり、流行の中心が一定しない。ジーンズの流行はますます広がっていったが、これもスリムからベルボトム、バギーとスタイルが多様化し、生地の選択の幅も広がる。
それに輪をかけてホットパンツ、マキシスカート、フォークロア、レトロといったファッションが混在し、70’s中期にはミリタリーウェアやワークスタイルなどを巻き込んでアウトドアウェアのブームが起こる。
「世界の一流品」などカタログ本のブームが起こったのもこのころからで、これは80’sのインポート・ブランドブームの先駆けとなった。
ファッション用語としては「ニュートラ」「ハマトラ」といった日本独特の言葉が70’s後半に至って誕生してくるのが特徴。